新年おめでとうございます

本年(2010年)、私達の心境によるキーワードは、「新態創」(しんたいそう)です。



本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2010年 元旦

マイコム株式会社
社長 湯場崎 直養



 2010年、私達の心境による就業キーワードは「新態創」(しんたいそう)です。「新しい"態"(態度、常態、情態)を創る(創造)」を意味します。

 昨年(2009年)の、私達の心境による就業キーワードは「型智」(かたち=形)でした。それは世の中の知識をはじめ、当社内に埋蔵するノウハウや経験とする知識に従った"型"から"智慧"を出し合い、"形"とする新しい技術や製品を創りたいとする、期待を込めたものでした。

 このようななかで、本年は「型智」から一歩踏み込んだ"超践"(=超越した実践。2008年の就業キーワード)として、「新態創」に取り組みます。

 本年の就業キーワード「新態創」に至るまで、当社内では体験からはじめる創造学習や技能訓練をはじめ、最新技術や創造性を説く技術講話、社員自らが講師となって基礎技術を解説する研修会などを日常的に開催、おかげさまで実際の技術や製品、あるいは業務上での手順として応用するといった、"型"から"智"を醸し出し、成果とする"形"が見えてきたように思います。

 しかし、このところにきて、産業・技術・科学における中国、台湾、韓国、さらにはインドの台頭に浴びさられる時代が到来しつつあります。私達にも、これから先、このような流れに影響されないため、昨年の後半は、「旧態依然の排除」を唱えてきました。

 それは、台頭する中国、台湾、韓国、そしてインドなどの産業・技術・科学は、かつては欧米であり、近年においては日本で築き上げた代物であることから、私達は日本の代物とされない、私達の社是「舞込誠心」(先進的な活動、仲間との調和、幸福は自然に)による独自性をさらに磨くための合図でした。

 私達の年毎の就業キーワードは、すでに20ワードを超えています。最近では、「超践」や「型智」を掲げ、本年は「新態創」を掲げましたが、この一連から日本の武道をはじめ華道や茶道の誠心「守・破・離・窮(究)」を演じているような心境です。


 昨年は散々たる1年でした。しかし、技術系や生産系の社員の皆さんにおいては三甲斐(働き甲斐・やり甲斐・生き甲斐)のうちの一つ、「やり甲斐」のあった年ではなかったかと思います。それは、いろいろな角度から「型智」を超践し、以下に代表される独自な技術が「形」となったからです。

 デジタル技術一辺倒のモーション・コントローラにアナログ技術を混載した独自技術が完成しました。
 軸制御一辺倒のロボット技術に独自の機構動作合成技術を開発、最速ロボット技術が完成しました。
 創造学習の一環として、身近な材料を題材にした、導電材料の研究から"触覚センサー"や"タッチパネルスイッチ"の技術が完成、この春にはこれらを用いた、ロボット・フィンガーの製品化やコントローラユニットに用いるタッチパネルの内製化を予定しています。
 ステッピングモータ系の欠点とされる脱調現象を無くし、低振動・超高速でしかも機械機構から発生する位置決め誤差を補正可能なステッピングモータとそのドライバを製品化しました。

 本年は、「型智」から「新態創」に超践する年です。しかし、気になる景気ですが、端的に言えばその明暗となる兆候すら窺え知ることのない手探りの時代としかいえません。そこで、私達はこのような時にこそ、私達の社是である舞込誠心(先進的な活動、仲間との調和、幸福は自然に)に則り、以下に代表するような行いをもって「新態創」を全うしたい。

 旧態依然に気が付く。それには「時」を意識する。
 旧態依然の行いは、一見正しいと思えることであっても排除を意識し、「新態創」を行う。
 新態創への第一歩は、自らの仕事と異分野の様相から共通項(印象項・近似項・一致項)を抱き、比較・照合を行う。
 新態創の行いには、時を基準とした成果を計測(測定)する。

 前述には「守・破・離・窮(究)」を掲げました。難解な意味を持ちますが、私達の意識型人工知能による知能レベル(10在位)にも似たところがあります。また、4,5年前、この難解な意味を分かりやすく説けないものかと、体育系クラブに所属されていた大阪電気通信大学の学友に尋ねたところ、中西 義一氏(現在は滋賀県の産業・技術機関のアドバイザ。専門は結晶とエックス線工学。大学での所属クラブは航空部)から、私達にも分かり易く説いていただいていましたので披露します。
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 武道の極意や、技道の思想は、私はよく知りません。でも、学問や科学技術習得にも、通じるものがありそうです。
 私の結論を先に言えば、それは弁証法でなく演繹的発想かも。
 この「守・破・離」の言葉、体育会系はもちろん華道・歌道、芸能、落語界・・まで今や幅広く使われているようです。
 師範、棟梁、先輩の背中を見て育つという確立された世界での修行・修練において、「守・破・離」の段階を、まじめに踏襲すれば(悟りの域への到達はむりだとしても)、いずれは「自己概念」の構成へと少し近づいたかな・・と思った経験者は多いにおられると思います。

1)  守:先達のやりかたを一生懸命に(悩まず?)真似る。基礎を学び型を知り、徹底的に身につける。・・ピカソならデッサンのスタート。
2)  破:試行錯誤しつつ、応用発展させる段階と自覚。自ら考えることにより、独自手法を生みだす。・・ピカソなら、青の時代。
3)  離:新しいやりかたを確立。自己概念の認識を得る。私・個の発想にて、自分らしさを発揮する。・・ピカソなら、ゲルニカの構築・訴求。
4)  窮:真似る人たちが出現、弁証を求められる側となる。悟りに窮するも演繹を広める意義を知る。・・さて、さて、ピカソは教科書に載る一生に到達。

・・そして、「守・破・離・窮」の歴史は繰り返してきたのかなと思います。窮と言う字は、ホントは「究」と書くのかも?。
 以上、藪にらみで独断を述べたことをお許し下さい。素直に述べれば、グライダー操縦時代も、この「守・破・離」の言葉こそは使いませんでしたが、方法論としてよく似たスタイル、段階を私達は踏んでいたかも知れません。

 さて、「一生懸命」は、目標あってこそ言えること。それ大事と思いつつ「ひとつのことに一生懸命」は、なかなか見つからずです。ましてや「三昧境地」の悟りへと近づくこと、人として生きるにとって、永遠の課題ではないでしょうか。
 蛇足ですが、科学の世界なら・・、

1)  守:先ず自然に生き、
2)  破:自然を変え、
3)  離:やっと、自然の真理を知る。
4)  そしてふたたび、窮・究:自然に帰る。

 もし、技術屋なら?、もし、猿ならば・・??。このこと、「知る、学ぶ、わかる、教える」などとも考えれば、人生奥深いものがありますね。    大津から中西、頓首